perky pat presents『夢十夜』神代の巻〜第四夜〜
〇木村繁審査員
10/28 13:00 観劇。
新年、いやお盆であったろうか、神様を送り迎えるために面(おもて)をつけて神楽を舞う。ストーリーは特別になくその儀式だけの小品なのだが、赤井のビンザサラは第一音から鋭く演奏され無駄がない。足のへんべ=踏み込みも確かで神を呼び寄せる霊力があり、数少ないことばが見る者の身体に響き渡る。赤井の鍛えられた発声が心地よく観客の身体に突き刺さり、コロナ真っ最中に気持ちのいい一夜の夢を見せてくれた。
〇望月勝美審査員
夏目漱石の短編小説「夢十夜」を一話ずつ一人で演じていくシリーズ(第一夜のみ二人)で、赤井さんはその第四夜、山奥の集落に暮らす老婆の役でした。
老婆の家を、道に迷った人物が訪れます。老婆は、神様に捧げる村の祭の準備をしているところだと告げ、「酒や料理を振る舞われる神様の役を、来られなくなった若者の代わりに務めてほしい」と頼みます。嗄れたような老人特有の声の出し方や間合いの取り方がとても絶妙で、第一声から引き込まれました。
「迷った旅人を助けた親切なお婆さんが、自分の身代わりとして、その土地の守り神を祀り続けるという〈役〉を言葉巧みに押しつけていく」という話ですが、後半で披露される力強い神楽の舞や祝詞に、長年の枷からまもなく解放されるであろう老婆の喜びが表され、ラストにつぶやく「ようやくこれで村を出られる」というひと言が、より恐ろしく感じられました。
演技の評価からは少し外れますが、赤井さんは脚本も担当されていて、かなり脚色を加えて台本化されています。原作にはない独特の方言を取り入れることで、都会からかけ離れた、古い因習の残る田舎の雰囲気をより醸し出し、自身のこなれた言い回しや、作り込まれた安定感のある声の響き方によく合っていました。
赤井さんは元々「怪奇紙芝居」という一人語りをされていますが、立ち上がって歩く老婆の仕草であるとか、祝詞を上げながら神楽を舞うシーンの堂に入った感じなど、身体の使い方にも神経が行き届いていました。
「老婆」という役柄を見事に演じられましたが、実年齢に近いものや、違った役柄も、また是非拝見してみたいと思いました。今後のご活躍を期待しています。
妄烈キネマレコード『少年カセットコミックPOCKET「待てど暮らせど 恋せよ乙女」』
perky pat presentsの『夢十夜』神代の巻〜第五夜〜
〇小原健太審査員
2公演での参加だったあさぎりまといさん。猛烈キネマレコードでは、男女の2人芝居で、一回り年下の男性とお見合いすることになった39歳の女性を演じました。年の差から、自分の方からお断りをしなければならない縁談と自分に言い聞かせつつも、2人で話すうちにどうしようもなく心引かれていく。そのバランスの変化や葛藤が全編を通して細かなせりふのニュアンスににじんでいて、非常にリアルな演技だった。パーキーパットでは、水神の生け贄に選ればれた女性と、水神の二役を演じる一人芝居を披露しました。照明は手元のろうそくだけで、ろうそくと自分の距離を変化させることで、生じる影の大きさを一瞬で変え、2役を表現するという演出でしたが、厳かな雰囲気をまとう水神と、村の願いを一身に背負ってやってきた女性の必死さの切り替えが絶妙で非常に作品の世界観にマッチしていた。
〇望月勝美審査員
私は、perky pat presentsの『夢十夜』の方の演技で推挙させていただきました。あさぎりさんは第五夜で、水害に苦しむ村の危機を救うために、水神様へ生贄として捧げられる若い女性を演じました。
岩屋の中で生贄となった女は、死ぬ前にひと目、恋人に逢いたいと水神に懇願するのですが、その水神の声もあさぎりさんが演じました。それと同時に、物語の状況を説明する語り手の役割も担い、恐怖に怯える若くて可憐な女の声と、その生贄を弄ぶかのような、どこか妖艶にも聞こえる水神の声色と、状況を的確に伝えて観客の想像力をかき立てる語り口とを、巧みに使い分けていたと思います。
あさぎりさんは、繊細で透明感のある声質がとても強みになっている俳優さんだと思いますが、その声を細やかにコントロールしながらのぞんだ演技が、「水滴の音が響き渡る暗がりの岩屋の中」という神秘的なシチュエーションでより一層際立ち、とても魅力的に感じました。
この作品に限らず一人芝居というのは、舞台美術であったり、音楽であったり、照明の力であったりが大きく作用したとしても、やはりその俳優の存在ひとつでどれだけ作品世界の雰囲気を体現できるか、というのが個々の力量の差であったり、大きな見どころのひとつになってくると思います。
たまたま私が講評を述べるのが、同じくくりの公演の一人芝居の作品になりましたが、先ほどの赤井千晴さんと同様に、あさぎりさんもその作品の世界観を瞬時に体現することができ、観客を一気に引き込む力のある俳優さんだな、と思いました。
あさぎりさんは、他の作品でもよく拝見している俳優さんの一人で、いつもその時々の役を魅力的に演じられていて目に留まることが多い方だったので、個人的にも今回こうしてその演技を讃えることができて、またその作品がこの一人芝居で、とても良かったなと思っています。
これからも素敵な演技をいろいろな場で披露してくださることを、とても楽しみにしています。
空宙空地<トシノセィ> 『くいくがりのなみだ』
〇加藤智宏審査員
沖縄の食堂のおばちゃんを演じている。
ちょっと話好きのおばちゃんが、取材というか下調べというか、を受けている。
その対応を一人芝居で演じているのだが、見えない相手をイメージさせるための、視線と距離感が秀逸に思えた。
一見すると気のいいおばちゃんのようだが、その内面に時として現れる毒は、沖縄に暮らす者から内地に暮らす者へ向けられ、自分の夫へと向けられる。
そして、その毒はコミカルな場面(例えば突然のユルいダンスなど)を経由することで、辛辣さが強調される。
この軽さと重さの加減が絶妙に感じられた。
〇ノグチミカ審査員
沖縄の飲食店を舞台にした一人芝居です。客は一人、焼けた首里城の取材に本州から来たちょっと軽めの男。その客を相手に女主人は自分の人生などを語り始めます。話もダンス?も切れ良くテンポ良く、笑いを誘います。そして、くいくがり伝説や彼女の悲恋が語られ、コメディタッチがサスペンスに。気さくなおばちゃんは、観光客や日本に対して複雑な思いを抱えながら、たくましく生きる沖縄県民の姿を表わしていきます。客の男のあたふたする姿が見えるとともに、私たち観客にも重い余韻を残す舞台でした。
観に行けてよかったです。そして大晦日の名古屋に来ていただいてありがとうございました。
登龍亭獅鉄 らくご芝居『新・中村仲蔵』
〇加藤智宏審査員
歌舞伎俳優の中村仲蔵を、周辺人物をたどることで浮かび上がらせる。
多数の人物を小気味良く演じ分ける按配は心地よく感じられた。
これは落語家由来の演じ分けのように思われるが、高座のような一か所からではなく、多くの場所へと位置を交えることで空間、時間を立体的に表現していた。
使われるのは平台、箱馬といった、いわば舞台を構成する「表に出ない素材」を駆使し、そして本人も黒衣のような存在として演じることで、「表」と「裏」を巧みに表していたように感じられた。
〇小原健太審査員
登龍亭獅鉄さんは、落語の中村仲蔵を基に、一人で出演、照明、音響、転換などをこなす落語芝居で参加しました。落語は、血筋が全てとされる歌舞伎の世界で、何の血統もない仲蔵がいかにして大スターになったかを描く名作ですが、これをあえて仲蔵を演じず、その周辺の人だけを演じ続けて、一代記を描くという趣向でした。次々に場面が変わり、演じる人物が変わっていくのですが、どの人物も非常にキャラクターの造形が深く、それが伝わるような演じ分けが印象的でした。特に、仲蔵をマッサージする盲目のあんま師のシーンは、もみほぐし方といい、表情といい、あたかも仲蔵のマッサージをその場で見ているような錯覚を覚えさせるくらい、完成度の高いものだった。
今回の審査を通じて、この地域には力のある俳優さんがたくさんいらっしゃるということを改めて実感いたしました。まだまだコロナ禍は続きますが、どうぞ力を落とさず、さらなる良い芝居を見せていただけることを、地域の観客の1人として期待しております。
星の女子さん『富山家の人々とその他の独白』
〇加藤智宏審査員
三本立てで構成される作品で、エントリーでは一本ずつの観劇も可ということだったが、三本で評価したい。
1994年、2002年、2008年の富山家一家の芝居。
その時間の経過を演じ分けるのだが、別人かと思うほどそれぞれの年齢で人格が変わった(個人的な印象)。
むしろこれがリアルに感じられた。
それぞれの年齢で、妻や子供に向けられる時の態度と、彼女たちと向き合っていない時の態度にギャップがあるのだが、それらは、人の性格が状況に応じて変容し一貫しないものだということへ説得力を持つ演技として表れていた。
一貫した人格を飛び越えながらも、一人を演じるきる表現力に注目した。
〇佃典彦審査員
今までも二宮さんのお芝居をたくさん観て来ました。「人の良いお調子者」といった印象が強く、実際そのような役柄を多く演じていた様に思います。
今回の作品では「昭和の頑固で小心者のお父さん」という役どころでしたが、笑いを取りに行く事もなく忠実に 演じられていた様に思います。実際はウケを狙っていたもののハズしていただけなのかも判りませんが、僕には非常に真摯に役柄に挑んでいた様に見えました。二宮さんは根がコメディアンなので怒りっぽい人物を演じていても嫌みを感じません。小学校の時の同級生に野口君というちょっぴり太めの友人がいました。家が近所だったのでよく彼の家に遊びに行ったものです。日曜日には野口君のお父さんがよくテレビの前に座っていました。いつも怒った様な顔をして無口で武骨な感じがして怖かったのを覚えています。僕の父はひょうきん者だったので野口君のお父さんに大黒柱としての威厳を感じたものです。今回の二宮さんのお芝居を観た時に、半世紀ぶりに野口君のお父さんを思い出しました。海馬の奥から記憶を引き出す演技力に感銘を受けました。
劇団うりんこ『わたしとわたし、ぼくとぼく』
〇木村繁審査員
11/20 14:00観劇。
セクシュアルマイノリティを扱った意欲的な児童演劇で、保育園に勤める男性の保育士が親たちから特別の目で見られ、耐えきれず引きこもってしまう。すると鏡の中から少女が現れて自分の小学校時代へ連れていかれる。そこで少女たちは体の違いや好きなものの違いや服の好みの違いなどに苦しみむといった展開である。
その中で藤本伸江は性同一障害の少女の親友美登里と、二十年後のシングルマザーの保護者3の二役を巧みに演じ分けた。その演技は演出家の要求する様式をよく理解した巧みな演技力で、子供たちに見てもらう児童演劇で小学生の役を演じながら、その役に没入することはなく、あくまでも俳優藤本伸江の年齢相応の感覚が垣間見えてくる知的で清楚な演技であった。
〇小原健太審査員
劇団うりんこの藤本伸江さんは、ジェンダーをテーマとした作品に出演しました。演じたのはスカートなど、女の子らしい格好がどうしても受け入れられない、ボーイッシュな小学生の女の子で、クラスでいじめにあったりもしていましたが、展開上の相棒役となる、男らしさを求められるのに違和感がある同級生の男の子と共に、北海道のLGBTパレードに参加し、いろいろな経験、価値観を学ぶ筋立てでした。藤本さんの役は、男の子っぽくありたい女の子なので、うりんこさんで長年培ってきた少年としての演技が生き生きとしていました。そこに、微妙な心中の葛藤が所々で垣間見えて、非常にバランスが良く、説得力のある演技に仕上がっていました。
〇佃典彦審査員
今回の役どころは非常に難しかったことでしょう。「自分の性別に疑問を抱きながら葛藤を続ける、まるで男の子様な女の子」を真正面から演じ切っておりました。
ずっと不機嫌でずっとムカついていてずっと口をへの字にしてずっと文句を言い続けながら正義を貫くという非常に難儀な役どころを真っ直ぐに演じられていて感銘を受けました。藤本さんの今回のお芝居には全くブレがありませんでした。俳優が舞台上で一つの事を貫き通すのは本当に大切な作業であることを藤本さんのお芝居を見て再認識致しました。以前から小さい身体に秘めるパワーには定評がありましたが今回はそれに加えてガラスの様なすごく繊細で壊れやすい精神状態が垣間見えました。
この役のために自慢の黒髪をバッサリと切り、体重も15キロ程減量して挑んだのだと推測しますが、その役者根性にも敬服致しました。